思いを受け継ぐために必要なこと
両親に誘われて行った北陸の地
両親に誘われて、週末に私の家族と私の両親で北陸に行ってきました。
私の故郷は、北陸の某市です。
私の両親が生まれ育った場所でもあります。
私は、小学生の時に引っ越してしまったので、
その町のことは、断片的にしか覚えていません。
北陸に行った理由は、墓参り。
もう、父方も母方も親戚一同はほぼ他界してしまい、供養をする人がいないのです。今回、両家の墓を一緒に巡り、供養をしようとなったのです。もう一つは、両親亡き後の墓の事について、私に今後のことを知らせて、考えさせたかったのでしょう。
長い年月とともに町は発展し、様変わり。
JRを乗り継ぎ駅に到着。そこからはレンタカーで移動です。
私がネットで予約していました。
父は土地勘があるとはいえ、高齢だし自分の車ではありません。
ジャム「俺が運転しようか」
父「いや、運転するわ。」
父は颯爽と運転席に乗り込みました。
父「〇〇の方へ行くには、どう行ったらいい?」
店員「〇〇ですか?そしたら、その道をですね・・・」
もう、あれからもう何十年も経っている。
町も当時に比べて発展して別の町のようになっていた。
店員から、道を聞いて、大体の方向は分かったものの、だからと行って、道順が分かるわけでもない。そこで、カーナビを操作し始めた。
助手席には母。二人であーだこーだ言いながら、カーナビを操作している。
父「車が変わるとカーナビも変わるっていうのが困りものだな」
結局、カーナビを諦めた。
母「〇〇だったら、あの道を行ったら?〇〇病院の所の」
父「ああ、あの道か、あれって、△△の所を左に行ったらいいな」
なんて二人でしゃべりながら車は出発。
しかし、やはり新しい道が出来ていたり、記憶が曖昧だったりして、一向に目的地に到着しない。
父「××町に出たぞ。△△経由で行くか。」
母「あそこは今日は混んでるわよ。だったら〇〇から行ったら?」
父「あれ、△△橋に来てしまったぞ。じゃあ、川沿いに行くか。」
母「川沿いだったら、スーパーのあったところから入ったらいいんじゃない。」
父「いや、こっちで行こう」
迷いながら進むことで得られるもの
目的地に真っ直ぐ向かっていないことは、みんな分かっていました。でも、だれも怒るわけでもなく、間違いを指摘するわけでもなく、ただ黙って二人の話し合いを聞いていました。
母「あ、これ、私が通った小学校!まだあったんだ!」
父「おー、この喫茶店まだやってるんだ。なつかしいな。」
母「この病院、ジャムが1才の頃、入院した病院よ。40日よ!40日。」
父「ここの店は、当時はみんな行ってたな。まだあるんや。」
目的地には真っ直ぐに向かっていなかったが、二人は目に映る物を懐かしみ、楽しんでいた。満開の桜の下、二人の思い出話にも花が咲く。
母は、私の嫁や息子たちにも語りかける。
母「この近くに〇〇荘ってあって、ジャムが生まれた時にそこに住んでいたんよ。」
長男「パパ、ここに住んでたの?」
ジャム「覚えていないけど、アルバムでその写真見たなぁ。」
そんなこと言いながら、車はあっちにいったり、こっちにいったり。。
結局、長い時間をかけて墓地に到着。
微かな記憶がある。その記憶が蘇ってくる。
私の祖父や祖母と一緒に墓参りしたこと。
今は、その祖父や祖母が眠っている場所にもなった。
その墓を、今度は私の息子達と一緒に掃除をしてお参りをした。
受け継ぐために必要な時間と環境
お墓参りを早く済ませるだけなら、簡単だった。
私が運転席に座り、カーナビを設定すればよかったのだ。
しかし、私は、敢えてそれをしなかった。
カーナビの使い方も教えなかった。
だって、私の知らない故郷の昔話をラジオのように二人で楽しそうにしゃべっている。その話を私や妻や子供達がじっと聞いている。
こんな貴重な時間は滅多にない。
実家に遊びに行ってもそんな話は、まずしない。
もし、実家でそんな話を聞いても、きっと、みんなうわの空だろう。
今、故郷にいるから、故郷の空気を感じ、故郷の景色を見ているから自然に話が弾むのだ。その場所に私たち家族も一緒にいて、一緒に感じているから、その話を自分の事のように聞くことが出来るのだ。これが「受け継ぐ」ってことなんだろう。
両親が、墓参りに私たち家族全員を誘った理由が分かったような気がした。